がんを本音で語る

2015.10.31

2015年の1月からこの11月の秋までで、テレビを見ていますと、がんで亡くなった芸能人、もしくは、がんになった芸能人がとても多いと思いました。思い出すと、愛川欽也さん、坂東三津五郎さん、柔道の斉藤仁さん、今いくよさん、今井雅之さん、川島なおみさん。闘病では、北斗晶さんなど、沢山の方ががんを経験されました。

今や、2人に1人ががんにかかり、3人に1人はがんで亡くなられるという統計が出ています。大変な世の中になって参りました。ただ、がんになることが悪いことではありません。でも、何らかの不調和により、がんになっていることは間違いありません。  何かが、間違っているよ!という現われが、がんということです。それが、何なのか、これは今もって現代医学では解明されていません。そして、だれもが確信した答えを持っていないような気がします。

このホームページでは、Yamazaru君が、今まで感じたことを、述べ、このページを読まれるたった1人の人でも参考にして頂けたら幸いだと感じます。
そして、ただ文献を漁っただけの論理で語るつもりはなく、家族(母)の体験を基にお話致します。

まず、母は、2010年の12月にがんで亡くなりました。坂東三津五郎さんと同じく、すい臓がんです。

遡ること2年、血糖値が高いということで、エコーの検査をし、その際大きなすい臓がんが発見されました。山口県防府の病院で、再検査入院をし、約3か月の余命宣告がされました。

もう、手術も出来ない末期状況ですと、ハッキリ言われました。

医師は、母に、いつから抗がん剤治療をするか聞きました。

母 「抗がん剤を打ったならば、先生どうなりますか?」

医師 「現在すい臓がんには、TS-1という飲む抗がん剤と、ジェムザールという抗がん剤の二種類しか保険適用がない。そして、その抗がん剤投与の量はこれ以上量を増やせば、命に危険があるという、本人の耐えうる最大量のものを打つ為、相当に苦しむ場合があります。」

母 「抗がん剤を打たなかったらどうなりますか?」

医師 「すい臓がんが治った人などいない。打たないと早く死ぬ。打てば少しは長く生きれるだろうねえ。」

母 「抗がん剤を打ち続けた最後はどうなりますか?」

医師 「正常な細胞は、ほぼ死滅する。そして、がんも死滅する。だが、全ての細胞が死に絶えた時、あなたも絶命する。」

医師 「いつから抗がん剤をうつんだね?早くしないと死ぬよ!」

これが、医師とのやりとりです。母は、ショックで涙を流しておりました。
これこそが、現実の世界です。これが、がんというものを恐怖だと捉えた瞬間です。良いも悪いも無く、ただ恐怖があるだけでした。

余命宣告 その後 免疫細胞療法へ

兄、自分 「こんなヤブ医者のいうことなんか聞かんでもええ、ワシ等がええ治療を調べる。即刻退院じゃー。ぶち出て行っちゃる。」

母 「。。。。。」

退院しました。さあ、どうするか。どうすればいいのか全く分かりません。
ただ、兄も、自分も幸いな事にネットで情報を検索することが出来る。後は、インターネットで道を探すしかない。しかし、何もしなければ3か月で死んでしまうと思いこみ、父と兄と自分三人は、焦り、この時、絶望に暮れたのでした。

それからというもの、兄と自分は、ネットで検索の日々を送り、なんとかがんに打ち勝つものをということで、ついにNK細胞療法というものを見つけました。
ネットでの誇大広告を完全に信じ切っていました。これこそが、カルト(狂信)です。

確か、その医療機関は、新大阪クリニックといいました。父と、兄と自分とで、岡山の駅の近くにある分院に行きました。

医師 「免疫細胞療法は、患者から50ccの血液を、かかりつけの病院で採決して頂き、そのなかのNK細胞(ナチュラル・キラー細胞)を増やしてまた、かかりつけの病院に送りますから、その血液を体内に入れて下さい。」

ということで、がんが、NK細胞によって破壊されている画像をパソコンで見せて頂き、その後の流れと、金額について説明がありました。

1クールが確か、150万円くらいだったと思います。

1クール。それは、標準治療回数のことで、血液を採血して、NK細胞を増殖させ再び体に戻すことを1回として、それを2週間ごとに行うもので、これを6回というのが、1クールと言います。

とりあえず、楽(ラク)そうな治療を見つけたと思った自分たちは、やっと希望の光を見つけたと思い、今後の治療に前向きになったのです。もう、治る気満々です。

父は、現在も岩本機工の代表取締役ですから、その当時は、ある程度の貯えがあり、ボッタクリ150万円も出せたのでした。

早速、周南市に戻り、周南病院に行き、免疫細胞療法と、超高濃度ビタミンC点滴療法を併用し、低容量の抗がん剤投与が効果があるのではないか。との医師の勧めにより、治療が開始されました。

NK細胞療法+超高濃度ビタミンC点滴療法+低容量抗がん剤投与の結果

さあ、治療の開始です。腫瘍マーカーの値と睨めっこの毎日です。低容量の抗がん剤とはいえ、母は、随分苦しみました。また、超高濃度ビタミンC点滴療法は、針が太く長いとのことで、何度も何度も打つたびに、血管が固くなり、打つのが苦痛と言っていました。

さて、母から、聞いた話ですが、やはり病院です。同じような人は数多くいるとのことで、全く同じすい臓がんで、かつ超高濃度ビタミンC点滴療法と低容量の抗がん剤で治療されている男性の友達が出来たと、言っていました。

そして、母の腫瘍マーカーも下がったり、上がったりと繰り返していましたが、ついに、免疫細胞療法2クール目に突入した頃、その友達になったという男性が

男性 「今日は、体調がすごくいい。だが、胸が熱い。」

看護婦 「それは、○○さん、熱いのは自然退縮じゃないですかー?
良かったですね。」

男性 「岩本さん、ワシが治ったら遊びに行くけえーねー」

という希望一杯の和やかな雰囲気が病室に流れ、患者さんたちも、ワイワイとしていたと言います。

ところが後日、、、

男性 「ああー、胸が痛い。治っていない、無念じゃ。なんでこうなったんだ」
と叫んでいたようです。心痛い話です。

それからというもの、その男性の落ち込みが相当に激しく、母が話しかけるのもままならず、そうこうするうちに容体が急変。ついには、苦しみながら亡くなられたようです。

それからというもの、母も自分自身がそうなるのかと、相当な落ち込みようで、しかも腫瘍マーカーは、右肩上がりに上がって行きました。そして、NK細胞療法は、がんの方が一枚も二枚も上手だと分かり、2クールで止めることとなりました。

樹状細胞療法+超高濃度ビタミンC点滴療法+低容量抗がん剤投与の結果

さあ、高価で効果の薄いNK細胞療法を止め、新たなる治療を探しました。医師より、樹状細胞療法というものがあると紹介された父は、早速、今度はNK細胞療法とは違う免疫細胞療法を母に行ったのでした。

NK細胞(ナチュラル・キラー細胞)とは、言うなれば、兵隊です。病原体に襲い掛かります。ただ、自己から生まれたガン細胞を敵と認識しないことから、NK細胞は、ガンを攻撃しません。

いうなれば、正常細胞とがん細胞の見分けがつかないのです。では、見分けを付けるには、なんらかの目印が必要です。その目印こそ、がんペプチドなのです。その目印をキラーT細胞に学習させることにより、キラーT細胞が、免疫細胞にがんを敵と認識させ、がん細胞を殺傷するというのが、樹状細胞療法の概念です。

この樹状細胞療法も、1クール160万円以上も掛かります。今考えると、これもボッタクリです。だが、父は、母をなんとか助けてあげたいの一心で、治療を始めました。
狂信(カルト)とは、ある意味危険です。改めて感じる所です。

やはり、この樹状細胞療法も、全く効くことはなく、金をむしり取られたと感じるところでした。その頃もう、腫瘍マーカーは、見たくないほどの高い値を示し、免疫細胞療法は、止めざるを得ませんでした。

免疫細胞療法後、次の治療まで

その頃、母には、黄疸が出ていました。黄疸とは、いかなるものか、見た方は分かると思いますが、顔などが、黄黒くなります。どうやら、十二指腸が、がんの塊に押しつぶされて、胆汁が上手く流れないことから、胆汁が体にばらまかれたようです。

病院に行く最中に、母の黄色い顔を見る人が多く、恥ずかしかったと言っていました。そして、すぐ様、徳山中央病院にて、バイパス手術を行う事となり、どのようなガン治療も、その間は止めてくれということになりました。

また、がんの塊が大きくなり、十二指腸をつぶしていることから、食事をしても、ずっと胃の中に食べ物が残ったままで、消化されないという状況になったのです。人間、食べることができないことは、相当苦痛です。母は、何を食べても美味しくないと言い出したのは、この頃です。砂を噛んでいるみたいだというのは、口癖でしたね。

そして、60キロ以上あった体重は、みるみるうちに減ってきて、小さくなってしまいました。そのやつれた母を見て、もう長くないのかと正直感じていました。

その後、ネット検索により、重粒子線治療というものを見つけました。

他にも、ペプチドがんワクチン療法を受けさせようと、東京大学の教授に電話したり、HF10ヘルペス療法を受けさせようと名古屋大学の教授に電話したりしましたが、治験の関係上出来ないとの返答があり、重粒子線治療にかけてみるということとなり、兵庫県立粒子線医療センターに母は行きました。

重粒子線治療での治療

重粒子線治療とは、放射線の治療のようなものですが、放射線と明らかに違うのは、放射線のように、他の臓器にも干渉することがなく、3次元的にがんの形状に合わせ、狙い撃ちできるというものです。

医師からは、治療後ずっと抗がん剤を投与すること。また、治療後、周囲の骨が折れる可能性、他の臓器も影響を与える可能性、そして、何よりも、がんの復活の可能性を示唆され、がん細胞復活の際は、選りすぐりの強いがん軍団となるということを告げられたようですが、それを承知で、治療しました。

この重粒子線治療もまた高額です。約330万円ほどかかっています。

ただ、退院後、周南医院にて腫瘍マーカーを調べたところ、ものすごい下がっておりました。電話で結果を聞き、大変嬉しく感じていました。その後は、医師の指示どおり再び抗がん剤投与の日々が続きました。

しかし、やはり、このような安心できるような日々は、長続きしませんでした。
みるみるうちに腫瘍マーカーが上がり始めました。今度の上がり方は、以前のものと違い、一桁づつ上がる程の異常な速さです。

つまり、重粒子線治療で告げられた、医師の言葉どおりの結果となってしまったのでした。

腹水 出現

その後、とうとう、がんの最終段階と言われる腹水が溜まり始めました。腹水を急激に抜いてしまうと体力が一気に下がるといわれています。ネットで調べました。なにやら古典的な方法で、里芋パスターがあることを知りました。聡哲治療院のホームページを何度も見ました。

実際に自分で母に施して見たのですが、あまり効果がありませんでした。それもそのはず、里芋パスターの前に、生姜シップをするのですが、今考えて見ると、いくら生姜シップしても、患部が赤くなっていなかった事を思い出します。非常に勉強不足でした。

ようするに、がんは、血が通わなくなっていくのだと今では感じています。
もう、これで母は、打つ手なし、終わりかと感じていました。

血管内治療(最期の治療)

自分、兄、父の間では、もう打つ手が無く、調べる手段も出尽くし、がん治療をやることが無いと思っていました。

母も、その頃は、もう最後の命の灯のようで、衰弱しきっていました。もう歩くのがやっとという状態でした。

しかし、ある時どこからか父が、血管内治療で、奥野哲治医師という名医がいるとの話を聞いて来て、クリニカETを調べました。

父 「はあ、お母さん危ないけえ、一刻も早う予約を取ってくれ」

自分 「うん。すぐ横浜に行って相談してくる」

話は、それだけで、次の日には、横浜のクリニカETに向かい、予約を取って来たのです。もう、その頃は、焦っていました。そして、運よくすぐ予約が取れました。

治療方法は、血管内にカテーテルを入れ、がんが血管から栄養を摂っているその新生血管を塞ぎ、がんを窒息させるというものです。今考えれば、この方法こそ、一番患者が楽に過ごせる方法ではなかったかと感じます。

母は、その頃もう殆ど食事が出来ず、クリニカETで食事を摂らせても、あれほど大好きだった寿司も一貫をやっとの思いで食べる位でした。腹水もひどく、母は、自分に、もう治療に遠出できる体じゃないことを告げました。

でも、やっとこせの状態で、やっとの思いで、血管内治療1回目をしてもらいました。運よく、腫瘍マーカーも驚くべき下がり方でした。ただ、それよりも体力の下がり方が著しく、血管内治療2回目の結果を待たずして亡くなってしまいました。

これが、医療における母が行った全ての治療です。

でも、せめてもの救いは、余命3か月を宣告されてから、約2年生かせて頂いたことです。有り難いことです。

今思えば、日頃からの学びが、浅かったこと。それから、医療というものを狂信してしまったということです。一番大事なのは、がんから何を学ぶのかということで、その事が欠けていたと思います。

Yamazaru君のがんに対する考え

さて、この母の闘病から死を経て、ずっと現在におけるまで、がんのことを忘れたことは、ありません。そして、恐らく、母ほど、これ程までに色々な最先端がん治療を受けた人は多分世の中そう多くないと思います。

そのことから、自分達は人より最先端医療の多くを学びました。無駄ではありませんでした。母も、生命が終わるということを感じ、その最も大事な事を自分に教えてくれたのではないか。そう思います。

自分が実感してみて読まれた方には、これだけは言っておきたいです。

1, がんは、必要があって出来ています。がんから何を学ぶのかが重要です。

2, がんを悪い物だと敵視し、いくら征服しようとしても、屈服させることは出来ない。

3, がんビジネスのお客さん(カモ)になってはならない。ボッタクリ多数と心得て下さい。世の中の多くのがん医療とは、汚い金の世界だと感じて下さい。そして、その目を養って下さい。

とくに、3番ほど心を痛めることはありません。人を助けるという名において金を貪り儲ける。人体に猛毒である抗がん剤が、いかに薬剤メーカーの一大ビジネスになっているのかお判りでしょうか?
もし、治らないと分かっておきながら、金の為に毒殺、焼殺、切殺しているのならば、その医師は、悪魔の使いです。人殺しです。信じてはなりません。

では、どのようにがんに対し接するのか、自分なりの考えを述べます。

1,人間の体は、食べ物で出来ています。そのことを強く認識し、清らかな食事に気を付ける。(食品添加物、砂糖、動物性たんぱく質を止めてみる)

2,汚れた腸、汚れた血液を掃除し、入れる(薬を飲む)ことから、出す(排毒)することに心がける。

3,がんは、紫色で冷え切った極陰性の細胞です。心も、体も温かい極陽性となれるよう心がける。

4,抗がん剤や放射線のような毒を体に使用しない。また、外科手術をしない。そして、ガンを敵視しない。

5,最先端治療であっても、免疫細胞療法などの超高額医療機関に手を出さないこと。

このことで、がんを取り除くのでなく、自分達の生き方の間違いに気づくことができるいいチャンスかもしれません。がんに感謝する医学、これを学ぶことは大事です。
これからも、絶対的な答えを自分の中に掴めるよう、学んで行きたいです。

こうすることで、世の中のがん難民は、救われるかも知れませんし、悪意のある金儲け主義の医療機関が淘汰されるかも知れません。世の中ぐっと良くなるはずです。

さて、自分が共感できる人達のYoutubeを貼り付けて置きます。参考になさっていただきたいです。

最後に、母は、生前言っておりました。

「 がんになったら、お金も何にも欲しくなくなった。 」

その事を考えると、健康に生きることこそ、人生の宝ではあるまいか。
そう感じるYamazaru君の今日この頃です。

そして、自分を含め、もっと世の中の人達は、愛する家族を守るために、日頃から学ぶべきです。自分は、この場を借りて、母を通して感じた学びを述べました。一人でも読んで頂いた方がいらっしゃれば幸いです。心の片隅にでも置いていただけるなら嬉しく感じます。