パイタの爆演

Yamazaru君は、クラシック音楽が大好きです。中学生時代より夢中で聴いてきました。ただ、周囲の人は、眠くなる、退屈になるといったイメージが強いようで、あまり話を聞いてくれないし、音楽友達は、兄のみでした。

でも、この趣味は、中学生の頃から変わらずです。しかし、今の飽食の世の中のように、クラシックの曲においても片っ端から繰り返し聴いてきたことから、少々の天才と言われる人達や、神童といわれる才能をもった子供たちの演奏を耳にしても、あまり楽しめなくなっている自分がいます。

つまり、自分は、美食、いやいや、美音に少々飽きがあるのかも知れません。これは、オーディオにも繋がります。いかに美音を出すのか、いかに空気感まで表現できるか等、随分と追い求めて来ました。

ただ、良い音というものは、青い鳥と同じです。その鳥は、追い求めると、ふといなくなって飛んで行ってしまいます。つまり美音は、求めれば求めるほどに飽きて自分の理想から離れる。これが、自分の体験です。

ですから、美音をもっと感じたいならば、対極にあるものも、味わい尽くす必要を感じます。分かりやすい体験で答えると、断食を3日したとしましょう。普段美味しいと思わないような食事でさえ、断食後の4日目に食べると、それはもう、これ程美味しい物が世の中にあったものかと感じるほど美味しいのです。これは、新しい自分の発見です。

濁ったもの、うるさいもの、あまりに激しすぎるもの、乱暴なもの、乱雑なもの、汚いもの、恐ろしいもの、寒気がするようなもの等もまた、美しさを感じる為には、必要不可欠な存在であります。また、美しい音を感じて来たからこそ、美しくないと感じる音にも自分は、価値を感じます。

また、よくロック、ヘビーメタルなどの音楽で、痺れるとかいう言葉を聞きますが、この痺れるという感覚は、どのようなものなのか、良く分かりませんでした。美しい音楽を聴いて、痺れるという感覚はおそらく無く、美しい音楽を聴いたときは、心に響いたとか、もっと違う表現をするでしょう。

自分が推察するに恐らく、痛々しいようなド迫力の中に、精神を委ね、陶酔するのが痺れるという感覚ではなかろうかと思うのです。正に、美しいとは言い難いその音楽の中で、感じ得る最高の喜びの響きなのかもしれません。自分は、ロックは聴きませんので、分かりません。でも、このような世界が、クラシック音楽に於いても、存在するのでしょうか?

それが、存在したのです。一人の指揮者がその痺れるという感覚を自分に教えてくれました。ただ、これは、それなりの事をしなければ理解ができません。それは、耳が痛くなるほどに、大音量にすることです。

そして、その狂える指揮者こそ、カルロス・パイタなのです。どのような指揮者も迫力という面だけを取れば全然敵いません。彼は、アルゼンチン出身のようですが、まさに狂える鬼です。

ただ、美しいと思わせるような楽章に入った時は、パイタは、適当に指揮をしているか、または、イヤイヤ指揮をしているのではなかろうかと感じることもあります。それがパイタの人間らしいところでもあります。でも、そのうち音楽が盛り上がってきたら、彼の熱い血が、マグマのように噴火し、暴れていきます。

特に金管群(トランペット、ホルン、トロンボーン)などは、口を腫らしていることでしょう。生半可な音ではありません。全ての音が、完全に暴徒化しています。
自分の音楽室で聴いた方は、凄まじいエネルギーの前に、完全にノックアウトです。
チャイコフスキーのスラブ行進曲は、完全にラリって(イカレて)います。かの有名な、炎のコバケンこと小林研一郎の迫力のある演奏でさえ、優しい曲に感じる程です。パイタの音楽は、あまりの刺激で音が顔に当たって痛いのです。しかし、その爆裂した響きに、得がたい痺れるという感覚が掴めるのです。

YouTubeでも、彼の演奏を聴くことはできます。しかし、その真骨頂は、大音量でないと感じることは難しいでしょう。一応貼り付けておきますので、一端でも想像してみて下さい。

美しさとはまた一味違った、痺れる感覚。体験してみませんか?できれば、CDを買って、爆音で聴いて見て下さい。(そのような環境にない方は、ヘッドホンで) ぶっ飛ぶこと間違いなしです。

貼り付けたYouTubeは、ベルリオーズの幻想交響曲です。終楽章の巨大なエネルギーには圧倒するはずです。

また、名盤として誉れ高い、シャルル・ミュンシュ指揮 パリ管弦楽団の演奏も貼り付けておきます。終楽章を比べて見て下さい。いかにパイタが暴れまくっているかが分かります。

 

そして、この二つの演奏、パイタ盤で聴くことにより、ミュンシュ盤の素晴らしさが、より深く感じられるようになりました。これは、自分の発見の一つです。

カルロス・パイタを尊敬するのは、クラシック音楽界で、だれもが成しえなかった爆演を披露することで、天才や神童とはちがった意味で、誰にも真似のできないパイタという唯一無二の人物そのもを作り上げたということです。

まさに、 あっぱれ! パイタにこそ相応しい言葉だと感じます。